徳川家康は、鷹狩と香が、大変好きだったそうです。
焚いて香りを楽しむ香。
特に伽羅すなわち奇楠香を好んだといいます。

香木は、日本では産出せず、
インドシナなど南方諸国の特産品でした。

もともと香りが好きだった家康は、
1600年の関が原の合戦で天下人となるとすぐに、
南方諸国と朱印船貿易に乗り出しましたが、
本当の目的は伽羅を手に入れたかったからだとも言われています。

伽羅とは、
ジンチョウゲ科の熱帯産高木を土中に埋めて腐らせたものの
優良品を呼ぶと説明されています。

その樹脂が木質に沈着した香りを「沈香」といいますが、
実際に沈香となる原木は大変に少なく、
地中に埋もれた木がすべて沈香となるわけではないそうです。

数十年という年月が経った老木で、
ほかに様々な条件が必要、とものの本には書かれています。

この沈香の高級品が伽羅で、伽羅は金より高く取引され、
珍重されました。

そして香道において「聞香」として使われたり、
神社・仏閣などでお香として焚かれたりしたのです。

家康は、この伽羅を求めて、
再三、良いものが欲しいと海外に使いを出したそうです。
ですが、あまり良いものが手に入らなかったようです。

そんな中、キリシタン大名の有馬晴信が献上した
わずかな量の伽羅に大喜びし、大金を与えたそうです。

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