双子の息子たちは高1で卓球をやっています。小学4,5年生あたりからお店の近所の児童館で二人で遊びとして始めたのです。
双子なので時間さえあれば相手に困ることはなく、学校から帰ると毎日のように児童館に通っていました。
地元の中学に入り、卓球部に入って1年生からレギュラーになり、世田谷区の団体戦で一番になりました。
親の私はといえば、卓球の世界のことはいっさい知りませんでした。
世田谷区では強い彼らも東京都の大会に行けば3回戦くらいでシード選手にあっさりやられてしまうのです。
もっと強くなりたいという彼らの意思で専門の指導者を探しました。
最初は中国人の指導者にマンツーマンで習いました。家からの交通費と費用はかなり大変です。何ヶ月か通い、中二の夏の大会が終わった後ぐらいに調布にあるジュニアのクラブに通うようになりました。
すばらしい指導者と強い練習相手に恵まれてメキメキ実力をつけて中三の時は東京の卓球をしている中高生のあいだでは彼らのことを知らないものはいないという存在にまでなりました。
関東大会に出場し、全国大会出場の決定戦で敗れ、全国には出られなかったものの、関東の強豪高校から誘われ今は栃木県の高校で卓球をしています。
今はどのスポーツも早期教育で、特に卓球の一流選手は小学生になる前から卓球を始めたなんていう選手がざらです。親としてはもっと早くしっかりした指導を受けさせてあげればと悔いるときもあります。しかし、遅く始めた彼らには、まだたくさんのノビシロがあると期待もしています。
小学生から高校で肩を壊してやめるまで気が狂ったように野球をやっていた(リトルシニアで2度全国優勝)私は卓球というスポーツについては卓球経験者以外の人と同じような知識しかありませんでした。
でも、この3年ぐらい色々な本を読んだり、ビデオを観たり、一流選手の試合をじかに見たりして卓球というスポーツについて学び、卓球というスポーツの持つ特性、自分が経験した野球というスポーツとの違いなどを考えるようになりました。
その中で最近感じていることは、同じスポーツという大きなカテゴリーでくくってしまうにはあまりにそれぞれに持つ特性の違いは大きく、時代と共に著しく進化しているということ。
たとえば卓球は見ている側と実際にやっている側との想像と実感の差が大きく、ボールの回転という見ただけでは想像しにくい絶対的な要素があるのだが、見ている側(指導者)はどうしても体の動きや下半身の動きに目が行きがちになる。それでフットワーク第一主義(あるいはそれだけしか考えていない)に偏った考え方の人も多くいるようだ。卓球においてフットワークは非常に大事な要素ではある。それを鍛えることは重要なことだ。しかし、動きがいいだけでは、いや動きに依存するのはリスクもある。
動きを相手に読まれる危険性もあるからだ。卓球はネットをはさんで一対一で対面してゲームを行う。そして相手が非常に近くコートが狭い。スピードがあり、それに伴い予測が非常に重要な要素になる。
あまり動きすぎないほうが、相手が予測しづらく、やりにくいという面もある。
要は、既成概念にとらわれすぎないということが大事なのだと思う。
用具や選手の体力の進歩、ルールの変更など著しい変化に理論も変わっていかなければいけない。
ボールが大きくなり、1ゲーム11点先取制になり卓球は大きく変わったそうだが、(私はそれ以前をよく知らない。)それ以前の経験者はその経験が邪魔をしているケースもあるようだ。
ボールが大きくなると当然小さい時より返球がしやすくなる。38ミリのとき、決まったスマッシュが決まらなくなるというケースも出てきただろう。
ラバーの進歩、変化によって回転がよりかかるようになり、回転という要素がより重要になったはずだ。
1点の重要性が高くなり、相手を欺くテクニックが必要だ。
より多彩な戦型、戦術が多くなり、選手の個性が重要になってくる。
選手の個性に合わせた練習、奥が深く、変化し続ける卓球。指導者はとても大変だと思う。
息子たちには自分の得意なものを見つけてこれだけは自信があるというものを持てるように努力しなさいと言っているが、今という時代は何事も選択肢が多すぎて、本当に必要なものを見つけ出すのが大変な時代なのだとつくづく思う。
練習では自分に勝ち、試合では相手に勝つこと。成長とは変わり続けることなのだろう。

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